今、読んでいるのは「モサド・ファイル」
モサドは、イスラエルの概諜報活動と特務工作を担当する組織。アメリカのCIA、イギリスのMI6と云ったスパイ組織の中でも世界最強と詠われている。
本書は、モサドの様々な作戦を実名で描いた作戦。凄まじい情報戦、非情な世界があるんだなとつくづく感じる。
作者の作品は昔から好きで、全巻読んでいたが、イスラエル人と云う事を初めて知った(まあ、どうでも良いのだが...)
海外ミステリが好きで良く読んでいるが、①登場人物が多過ぎ、名前が覚えられない、②分厚く、読み応え十分。海外の人名や街の名前は非常に覚えにくく、あれ誰だっけと前に戻って人名を確認する事が度々である。さらに、本の分量が半端でない、何でこんなに分厚いの?
偶然見つけた記事によると、「英語から日本語に訳すと原本の約1.5倍になる」 そうだ。確かに、自分でも英語文献等を日本語訳したとき、原書より長くなる事は感じていた。日本語って、冗長度が高いのだろうか?英語の場合は、主語の後に直ぐに動詞がくる。すなわち、いきなり結論が来て、それから背景説明、ところが日本語の場合は結論は後で、延々と形容詞が続く。言語の構文の影響が多いのではないかと思う。政治家の演説も嘘くさく聴こえるのはそのせいかも??
海外へ行くと、電車内で良く分厚い本を読んでいる人を良く見かける。書店に入っても、単行本ばかりで(日本のような持ち運び便利な)文庫本は見当たらない。いつも不思議に思っていたが、①本が分厚いと得した気分になる、②ヴァカンス先でゆっくり読むので、持ち運びの利便性は必要ない、よって文庫本は普及しない。ちなみに、タブレット等で読書している人もあまり見ない。伝統を重んじる国々(特に欧州)の人達、おそらく変わらずに分厚く、重く、嵩張る本を読み続けるのだろう…。
0 件のコメント:
コメントを投稿